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スケジュール

2013年10月23日(水)

11:00~15:00

※始めに、間やタイミングを体に染み込ませるため今風でない方法”口唄歌(くちしょうが)”「口伝え」で調子をおぼえます。

2013年10月24日(木)

11:00~15:00

”口唄歌(くちしょうが)”でおぼえた間やタイミングに合わせて、ステップ、太鼓 、踊りまで習い。本物の衣裳を身に着けて稽古させていただきます。

三陸町越喜来

三陸町越喜来は、起伏に富んだリアス式海岸で、世界有数の三陸漁場を有する自然に恵まれた町です。越喜来には大船渡市の指定文化財とされている、樹齢がおよそ7千年の「三陸大王杉」や、ホンシュウジカが生息する夏虫山は、大船渡から金華山まで見渡せる山頂はツツジの名所で有名です。


遊・YOU・亭夏虫▶
三陸大王杉▶

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浦浜念仏剣舞

岩手県の沿岸南部、大船渡市三陸町越喜来 (おっ きらい) の浦浜地区に伝えられている念仏剣舞。発祥等は不詳だが、江戸時代中期またはその後に始まったものと推測されている。地元では「けんばい」ではなく「けんべぇ」といわれている。 念仏剣舞は「反門(へんまい)の呪術的性格と浄土 信仰とが結合したもの」といわれている。リアス式の地理のため海と山に阻 まれ、かつて陸の孤島と呼ばれた地域の一角である浦浜、そこに生き続けた民衆の素朴な芸能として踊り継がれ今日に至っている。

特徴:浦浜剣舞は胴取り(太鼓)、笛、踊り手と構成される。踊り手は八人構成を基本とし、全員仮面をつけ、踊りの中心ささらは赤地の三番叟、主剣舞から四剣舞の五人は毛ザイ男山と女山は鳥兜をかぶる。





浦浜念仏剣舞 WEB PAGE▶

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浦浜金津流獅子躍

鹿踊りは、太鼓をつけない幕踊り系と太鼓をつけた太鼓踊り系に大別され、金津流は、太鼓踊り系に属する民俗芸能。装束は、他のいかなる芸能にもみられない一種の威厳さがある。鹿角を横に張り出した獅子頭に長い髪采を豊かに垂らし、上半身を麻の前幕をもって覆い、下は大口袴。頭上に赤地の太く大きい華鬘(けまん)結びと絵柄の流しを後ろに垂らし、背に長いササラを背負う。腰太鼓を斜めに付け、二本の細ばちで、自ら囃し、自ら歌い、躍るところに大きな特徴がある。

祖霊供養、悪霊退散、五穀豊穣を祈願し、寺院や民家の庭で躍られ、また、地元の神社の例祭に奉納する神事芸能として伝承されてきた。素朴さの中に高い風格を兼ね備えた金津流は、まさに、東北の至宝であり、日本の代表的民俗芸能の一つといえる。演目には、三光の型(儀式の舞)・礼庭・霧返し・島霧・雌獅子獲り・案山子踊り・鉄砲踊り・土佐がある。芸技の伝承だけではなく、入門の儀・役付の儀・頭譲りの儀・総見の儀・最後に相伝四門の儀、供養碑の建立といった一連の儀式の伝統をも厳格に守り継承されている。

金津流浦浜獅子躍 WEB PAGE▶

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浦浜民俗芸能保存会

・東日本大震災による被害
 私たちが取り組んでいる古里の芸能、「浦浜念仏剣舞」と「金津流浦浜獅子躍」が合同詰所としていた建物が全壊し、保管していた装束・道具類を流失。獅子躍は、太鼓3個と小物類に止まりましたが、剣舞に関しては全てを失う結果となりました。浦浜念仏剣舞は昭和47年7月、10年ぶりに復活させ、また、金津流浦浜獅子躍は平成2年に、70年の眠りから甦らせた貴重な祖先遺産であります。大震災の驚異に屈し一時は中断やむなしと悲観しましたが、「鎮魂の舞である」という原点に立ち返り、6月18日、瓦礫の中を行進し大震災犠牲者百か日供養を行い、活動を再開してきたところです。
・装束・道具等の整備
 大震災から3か月目の6月11日、民族歌舞団荒馬座・被災郷土芸能団体を支援する会各位の救援活動によって、三尺の締め太鼓2台と救援金が寄せられました。また、日本財団、東日本鉄道文化財団をはじめとする公益財団、各種団体各位の助成(支援)を賜り、大震災で流失した装束、道具等の新調整備が今年度中に完了する予定です。しかし、いまだに道具の保管・稽古といった活動の拠点施設が確保できず、中古のウイングコンテナを保管場所とし、稽古場は庭先しかなく雨天時や冬季間は中断する状況にあり本来の活動に復帰できないでいます。

浦浜民俗芸能伝承館・建設募金詳細 WEB PAGE▶

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